東京地方裁判所 昭和59年(ワ)2606号 判決 1988年1月28日
原告
本間次睦
被告
佐藤昭市
ほか一名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、金三六一五万二一八〇円及びこれに対する、被告佐藤昭市(以下、「被告佐藤」という。)については昭和五九年三月二五日から、被告富士火災海上保険株式会社(以下、「被告富士火災」という。)については同月二四日から、支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生(以下、「本件事故」という。)
(一) 日時 昭和五六年三月三一日午前一〇時三〇分頃
(二) 場所 山形県酒田市両羽町地内両羽橋路上
(三) 加害車両 大型貨物自動車(以下、「被告車」という。)
右運転者 池田正志
(四) 被害車両 普通乗用自動車(以下、「原告車」という。)
右運転者 原告
(五) 態様 原告車が両羽橋の左側車線を進行中、被告車が右側車線後方から追突した。
2 原告の受傷及び治療経過
(一) 原告の受傷
原告は本件事故により、頭部、頸部、腰部を強打し、頸椎捻挫、腰椎捻挫、脳下垂体線腫瘍の傷害を負い、現在も、頭痛、耳鳴り、手のしびれの症状が消失していない。
(二) 治療経過
原告は、右受傷により、次の治療を受けた。
(治療期間の始期………終期。年は昭和)
<1> 伊藤医院 通院 五六年四月一日…五六年六月一日
<2> 沼本接骨院 通院 五六年五月一九日……五六年一二月一五日
<3> 山形大学医学部附属病院
入院 五六年六月四日……五六年七月一五日
通院 五六年七月一六日…五六年七月二八日
<4> 紺野治療室 通院 五七年四月一〇日……五七年六月四日
<5> 国立塩原温泉病院 入院 五七年六月七日……五八年五月一二日
<6> 市立酒田病院 通院 五八年五月二〇日…五九年一月三一日
<7> 栄光治療院 通院 五七年二月…………………五九年三月
<8> 鶴岡市立荘内病院
入院 五六年六月二〇日……五六年六月四日
通院 五六年一二月一七日……五八年五月三一日
<9> 高橋治療院 通院 五六年一〇月…………五七年二月
<10> 小松あんま 通院 受傷当時
<11> 整体療術院 通院 五回くらい
<12> 小林整体 通院 五九年一月……………五九年二月
3 責任原因
(一) 被告佐藤は、被告車の所有者であるから運行供用者として自賠法三条に基づく損害賠償責任がある。
(二) 被告富士火災は、被告佐藤と任意保険契約を締結しているから、原告に対して、被告の原告に対する損害賠償金を支払う義務がある。
4 損害
(一) 逸失利益 二八一〇万〇七六八円
(二) 後遺症慰藉料 一一七九万〇〇〇〇円
後遺障害別等級表第五級二号に該当するものとして計上
(三) 入通院慰藉料 七三〇万〇〇〇〇円
(四) 入通院交通費 六万五九二〇円
昭和五七年八月一二日から同五八年三月二一日までの分
(五) 介護費 二〇万五〇〇〇円
山形大学医学部附属病院入院分
(六) 入院雑費 三九万五〇〇〇円
(七) 弁護士費用 三〇〇万〇〇〇〇円
よつて、原告は被告らに対し、金三六一五万二一八〇円及びこれに対する事故発生の日の後である。被告佐藤については昭和五九年三月二五日から、被告富士火災については同月二四日から、支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2(一)の事実は否認する。本件事故の接触による衝撃はわずかであり頭部、頸椎、腰椎痛は考えられない。脳下垂体線腫瘍は本件事故と因果関係がない。同(二)の事実は知らない。
3 同3(一)について、被告が被告車の所有者であり運行供用者であることは認める。
同(二)について、被告ら間に任意保険契約が締結されていることは認めるが、被告富士火災が原告に対して支払義務があるとの点は争う。右保険契約は被害者の直接請求権を認めていない。
4 同4の事実は知らない。
第三証拠
証拠は本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。
理由
一 請求原因1(事故の発生)は当事者間に争いがない。
二 請求原因2(原告の受傷及び治療経過)について判断する。
1 成立に争いのない甲第五、第一〇、第一一、第一四及び第一五号証、第二七号証の一、乙第四号証の一、第五号証、第六号証の一、第七号証の一、第八号証、原本の存在と成立に争いのない甲第六、第一二及び第一三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第七及び第九号証並びに弁論の全趣旨により原本の存在と成立が認められる甲第八号証によれば、原告は次のとおり入通院し治療、診断を受けたことが認められ、左記認定に反する証拠はない。
(一) 本件事故の翌日である昭和五六年四月一日、伊藤医院で頭痛、頸項部痛、吐気、耳鳴り、右上肢しびれ感等を訴えて診察を受け、同年六月一日まで実日数四三日間通院し、頸部牽引、マイクロタイザー、星状神経ブロツク、湿布等の治療を受けたこと、同医院で、同年四月一日、二日及び二七日にレントゲン撮影を行つたこと
(二) 同年六月二日から四日まで鶴岡市立荘内病院(以下、「荘内病院」という。)に入院し検査を受けたところ、脳下垂体腫瘍を疑われ、山形大学医学部附属病院を紹介されたこと
(三) 同月四日、山形大学医学部附属病院に入院し、脳下垂体腫瘍と診断されて、同月二四日手術を受け、同年七月一五日まで入院し、翌日から同月二八日まで通院したこと
(四) 同年五月一九日から同年一二月一五日まで、沼本接骨院に実日数八七日間通院し、頸椎捻挫、腰椎捻挫と診断され、マツサージ等を受けたこと
(五) 同年一二月一七日、荘内病院に後頭部痛、耳鳴り、右上肢のしびれを訴えて診察を受けたところ、ジヤクソンテスト、スパーリングテストはいずれも陰性であり、可動域は正常、神経学的に異常所見はないと診断されたが、レントゲン撮影の結果第五頸椎と第六頸椎間に椎間板変性が認められたこと、同病院に昭和五七年四月六日まで実日数五日間通院し、同日外傷性頸部症候群の後遺症として後頭部痛、両手のしびれ、体力低下が固定したとの診断を受けたこと
(六) その後、紺野治療室に頭痛、耳鳴り、手のしびれ等を訴えて同月一〇日から同年六月四日まで通院したこと
(七) 同月七日から昭和五八年五月一二日まで国立塩原温泉病院に入院したこと、同病院での主訴も頭痛、耳鳴り、右手の震え等であつたこと、昭和五七年六月七日に頸部レントゲン撮影をしたところ第五、第六頸椎間骨棘、椎間板腔狭少後方突出が見られたこと
(八) さらに、同様の主訴により、荘内病院に昭和五八年五月一七日から同月三一日まで実日数三日間通院し、さらに、酒田市立酒田病院に同月二〇日から昭和五九年一月三一日まで実日数一〇二日間通院したこと、同年一月一九日にレントゲン撮影の結果第五、第六頸椎間椎間板変性、軽度の脊髄圧迫像が認められたこと
2 ところが、原本の存在と成立に争いのない甲第一及び第二三号証並びに乙第三号証の一ないし三、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二号証によれば、本件事故は原告車が進行中、後方から走つてきた被告車に右側斜め後方から追突されたものであること、本件事故による原告車の破損は右リヤドアの傷、右クオーターパネルのへこみ及び傷、リアバンパーの傷及び変形であつて、へこみ、傷等はいずれもごく軽微であること、へこみは主として原告車の左から右方向へのものであること、本件事故は当初物損事故として処理されていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 また、鑑定の結果によれば、鑑定の結論は次のとおりであると認められる。
(一) 原告の昭和五六年四月一日、二日、二七日及び昭和五七年六月七日の各頸部レントゲン写真によると、五六年、五七年ともに彎曲の異常、第五、第六頸椎椎間板の変状と狭窄化、骨棘形成が認められ、頸椎関節の変形性関節症の所見が著明であること、これら頸椎の所見は多くの場合加齢変化と退行性変化が重なつて出るものであり、しかも、右写真に現れているほどの変性、狭窄が起きるのは一〇年単位の時間が必要であるから、本件事故発生直後に現れている右各所見が本件事故による外力によつて起きたと断定することはきわめて困難であること、五七年の所見は五六年の所見に加齢退行変性を加えた程度であり、特に外傷がなくともこの程度の進行は起きると考えられること
(二) 脳下垂体腫瘍は外力によつて生ずるものではなく、本件事故とは因果関係はないこと
(三) 追突事故により、一般論としては、頸部痛、肩凝り性、肩や上肢に及ぶ神経痛、手指、上肢のしびれ感、頸椎運動時痛、頸椎運動制限が生じたり、すでに存在していたこれらの症状が憎悪する可能性、さらに頭重感、頭痛、吐き気、めまい感、耳鳴り、フラフラ感等を併発する可能性があり、加えて原告の場合、脳下垂体腫瘍が存在するために、各症状がより強くより難治性に発症する可能性が考えられるが、右のような症例はある程度以上の大きさの外力が加わつたときに限り生じるものであり、本件事故により右のような症状が発症したと考えるのは、追突車の速度等からみて、不当であること
4 さらに、前掲甲第一三号証及び乙第六号証によれば、山形大学医学部附属病院で脳下垂体腫瘍の原因は不詳とされていること、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第九号証によれば、事故による外力によつて頸椎、椎間軟骨、靱帯等が損傷された場合は受傷直後のレントゲン写真においては認められなくても一年経過した時点において変化が認められ、二年経過すれば変化がさらに顕著になるはずであるところ、原告の写真にはさほど変化がないこと、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一二号証によれば、原告車側面のへこみが三センチメートルとし、秒速一メートルの速度の衝突によつて一〇センチメートルのへこみができるとした場合、原告車の縦方向に働く衝撃加速度は理論上〇・〇七gと計算されごく小さいものであることが認められる。
5 以上の事実によれば、本件事故は軽微な追突事故でありしかも原告車に対する右斜め後方からの追突であつて運転席に乗車していた原告に対する後方からの衝撃はきわめて軽微であつて原告が受傷するとは通常考え難いうえ、脳下垂体腫瘍は本件事故との因果関係が認められず、レントゲン検査によつて明かな第五、第六頸椎椎間板の変状、狭窄、骨棘形成の直接原因を本件事故と見るのは困難であり、また本件事故によつて右症例が進行したとも見られず、さらに原告は右レントゲン検査所見の他には他覚的所見がなく、主訴は本件事故以降同様の症状が続き症状固定の診断が出た昭和五七年四月六日以後も変わらないことが認められる。右の点に照らして考えると、前記1で認定した原告の本件事故後の症状及び入通院の事実をもつて、原告の右症状が本件事故によるものであることを推認することはできないというべきである。右認定に反する前掲各証拠中原告の症状の原因を本件事故とする部分は採用することができず、他に原告が本件事故により受傷したことを認めるに足りる証拠はない。
三 結論
以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないので棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 中西茂)